コミュ障大学生がスーパーのレジ打ちバイトをしてみた所感
大学生は何かと出費が多いものである。
光熱費もかかるし、出来れば美味しいご飯も食べたいし、服装やメイクにはこだわりたいし、旅行にも行きたいし、switchやプロジェクターも買いたいし、歯科矯正もしたい…!
お金を稼ぐために、大学に入ってから数多くのバイトをしてきた。
スーパーに、ダーツバーに、ネットカフェに、工場の短期バイトetc…
今回はその中でも、スーパーのレジ打ちバイトをピックアップして所感を述べる。
求人申し込みから面接まで
今までの経験上、空気を読んで会話をしたり、自分の言葉で人と関わってゆくバイトには向いていないと感じていたので、マニュアルがあり、人と深く関わらない仕事を探していた。
すると大学の近くにある某スーパーのレジ打ちバイトが見つかった。
時間帯の希望に合致していたうえ、大学の近くなのでチャリで行ける距離だった。
友達がいないゆえに、知り合いと会って気まずい思いをすることもないし。
このような背景があって、その求人に応募した。
面接では「週何日入れるか」「なぜこのスーパーを選んだのか」とか当たり障りのない質問をされ、当たり障りのない回答をした。
そして無事採用され、そのスーパーでレジ打ちを始めることになった。
規則の厳しさに驚く
まず驚いたこと①染髪・ピアスがNGだった
私は明るめのインナーカラーを入れており、面接の数日前にピアスを開けたばかりであった(馬鹿)
面接の際に特に何も言われなかったこともあって、てっきり大丈夫なものだと思いこんでいたが、バイト初日に更衣室で見た張り紙には「染髪・ピアスNG。清潔感を大事に」
と書いてあったのである。
髪の毛は三角巾で隠れるからいいものの、ピアスについてはどうしようもない。
外せばいいじゃないかと思われるかもしれないが、ファーストピアスであったため、どうにも外し方が分からなかったのである(馬鹿)
そのことを社員さんに報告にいくと、絆創膏を貼るということで許してもらえた。
社員さんがとても優しかったのが救いであった。
驚いたこと②マニュアルが思ったより細かい
私が働いていたスーパーはレジが機械化されており、バイトの仕事は商品をバーコードで読み取ることと、商品券など特別な処置が必要な場合のお会計をすることだった。
精算業務はすべて機械がやってくれるので、とっても楽ちんであった。
大変であったのは接客である。
お客さんがレジに来た時、ポイントカードや袋の有無を聞く時、お辞儀の角度や御礼の挨拶まで、すべてマニュアルで一語一句決まっているのである。
私は初めお客さんに「ありがとうございました!」と声をかけていたが、「ありがとうございます!でしょ!」とパートのおばちゃんに注意されたりした。
ただその定型句さえ覚えれば、あとは機械のように働くことが出来た。
病み期:時間がたつのが本当に遅い
働き始めて数ヶ月、金券処理も簡単に出来るようになった頃。
私はとあることに気付く。時間がたつのが死ぬほど遅い、と。
商品を読み取るだけという単純作業であるうえに、お客さんがそれほど多くなかったからである。
そこそこ暇なのである。
そして、目の前に置いてある時計を見つめて「さっきから1分しか経ってねぇ…」と思うようなことを何度も何度も繰り返した。
そして段々バイトに行くのが憂鬱になってゆき、バイトをやめたいと思うようになった。
レジバイトにもコミュ力は必要では?と気づく
そんな病み期真っただ中にあることに気付いた。
一緒に働いていたパートのおばちゃんは生き生きと働いていると思ったのである。
いつも笑顔で、常連さんと世間話をしたりして、お客さんが商品を詰めやすいように袋を開けた状態で渡すなど、マニュアル以上のことをしていた。
その姿がとても魅力的だったので、真似したいなと思った。
笑顔を心掛け、粗雑な動作にならないように気をつけ、お客さんが「今日寒いね~」とか話しかけてくれたら、愛想笑いをするだけじゃなくて、会話が続くように一言添える。
コミュ障にとっては、ただ立ってるだけより何倍も疲れるし、傍から見るとうまく接客出来ていたのかは分からないけれど、お客さんに笑顔で「ありがとう~」と言ってもらえると嬉しくなる時が増えた。
これがやりがいっていうのかなと思った。
まだ時間がたつのが遅いと思うことは多いけど、前ほどバイトが憂鬱にならなくなった気がする。
そして、やめる
半年間、そのスーパーで働いた。
ある程度お金がたまったことと、掛け持ちしているバイトが忙しくなることなどがあいまって、スーパーのバイトをやめることにした。
社員さんにやめることを伝えると、「そっか~、残念だけどまたお店に遊びに来てね」と言ってくれて、良い職場だったなと思う。
賞味期限が切れそうな商品を毎日くれたことも一人暮らしにはありがたかった。
結論として、
マニュアルのおかげで丁寧な言葉遣いが身に着いた
バイトをめんどくさい作業としてこなすのではなくて、工夫をしながら働くことで、少しだけ楽しくなるかも?という学びがあった
無感情でも働けるし、頑張ろうと思ったらそれだけ結果がついてくる仕事かなと感じた。
最後に、SNSでよく目にするクレーマーとかクソ客とか言われる人々は限りなく0に近かった。
これからスーパーで働こうと思っている方々の参考になればいいな。
なんで留年した?
今年で大学4年生になる。残念なことに、すでに留年が決まっている。
去年こそ申し訳程度に授業に行ったものの、2年生時代には全く大学に近寄りもしないという有様であった。
その結果が留年である。
留年する大学生は世の中にあふれているし、たいしたトピックにはならないと思うが、自己反省の意も兼ねて、以下にその理由を列挙する。
これから大学生になる皆さんには反面教師にしてもらいたい。
勉強をする目的が見つけられなかった
まず、私にははっきりとした将来の夢や目標がない。
今まで親や先生が「勉強をしろ」と言っていたから勉強をし、大学に入っただけのことだ。
周りの人に「将来の夢は?」と聞かれたら、教師だ司書だとその場その場で最も歓迎されるであろう回答をしてきた。
高校までは出来るだけいい大学に入ることが目標であり、それが親の用意してくれたレールであった。
将来について真剣に考えることをせず、第一志望の大学の中でも入りやすそうであった文学部に入学した。
いざ大学に入ってみると、目の前には無数の分かれ道があり、私にはどれを選んでよいのかが分からなかった。これは今も分からないままであるが。
そして、大学で学ぶ哲学や文学がこれからの人生にどのように役立つのか分からなくなった。
勉強が好きな人であったなら、目的などなくても学び続けることができるであろう。
しかし私はそうではなかった。
勉強など大嫌いなのである。
そうして大学での勉強に意味も楽しさも見出すことが出来なくなった。
加えて、周りの大学生達は、将来のビジョンを明確に持っていたり、興味がある研究テーマを突き詰めていたり、純粋に勉強を楽しんでいた。
そんな周りの人達と自分を比べて、勝手に劣等意識を持ち、大学で自分だけが浮いているような感覚を持つようになった。
そのように、居心地が段々と悪くなっていったこともあり、私は教室から姿を消した。
友達がいなかった
それでもまだ、同じ教室に友達がいれば、毎日大学に行き続けることが出来たであろう。
過去記事でも述べたのだが、私はサークルのコミュニティに馴染めないままやめてしまう癖がある。
そのようなコミュ障要素が積もり積もって教室で会えるような友達を作れなかった。
ここで大切なのは「教室で会えるような」という部分である。
つまり1人も友達がいない訳ではない。
しかし、その数少ない友達が揃いも揃って大学に行けない族なのである。
その中には、普段授業に行かないが、テスト前の猛勉強で全てを取り返す友達もいたし、麻雀にはまりすぎたゆえに授業に行けなくなった友人もいた。
それゆえ、そんな悪友らと怠惰の限りを尽くした生活をし、ますます大学には近づかなくなった。
自由に出来る環境
大学生になって一人暮らしを始めた。
それまではずっと親の目があって、夜に出歩くのもNGだったし、カップラーメンも自由に食べることが出来なかった。
そうして親元を離れたことであらゆることが自由に出来るようになったのである。
夜に友達と飲みに行ってもいいし、お腹が空いたら自由にカップラーメンやお菓子を食べてもいい。
休みの日は何時まででも寝てていいし、大学に遅刻するのも休むのも自由。
自分に甘く、超ロングスリーパーの私は、起こしてくれる人がいなければ、いつまででも寝てしまい、段々と昼夜逆転の生活になった。
そうして、授業に出席するのが困難になっていった。
強く生きようぜ
とりあえず思いつく限りの理由を列挙してみたが、振り返ってみるとどれもありふれた理由である。
大学に入るまではこんなあからさまな落とし穴に嵌るなんて想像もしていなかった。
もちろん親には申し訳ないし、自分自身の事を情けないとも思う。
ただ、ささやかであるが、大学に行っていない期間を通じて、得られたものや学んだことはあった。
というのも、大学に入ってからの3年間、授業には行っていないが、本当に本当にたくさんの体験をした。
たくさんのバイトを経験したり、初めて海外旅行をしたり、汚い大学寮で共同生活を体験したり、自分の趣味のサークルを立ち上げたり、本気で恋愛したりした。
劣等生ではあるが、刺激的な体験を通じて自分が成長したと感じるし、
今まで何も考えずに生きてきたこと
今まで見てきた世界はとても狭いものであったこと
私は世間知らずで未熟であること
を学んだ。
そして、これからの人生について真剣に考える機会になったと思う。
これでやっと常人のスタートラインに立てた気がする。
単純なことを学ぶのにとても遠回りをしてしまって、時間を要するけれど、着実に強く生きていきたい。
ブログ続けられるのって凄くない?って話
映画と大学生活についてブログを書こうと思い立ったものの、
続かん!
映画も継続的に見てるし、書くネタもないことはないけど、いざ書くとなると相当な気力が必要になるんだよ。
多分純粋に書くことが好きなのではなくて、「ブログってお金になるんかな」っていう不純な動機で始めたから続かないんだろうな。
人生で日記も、家計簿も、自炊も、サークルも、寮生活も何もかも継続することが出来なかったから、ブログは続けたいなと思っているが、難しい。
かといって、他にしたいこともないから、とりあえずブログを書いていたりする。
皆社会の中で自分の仕事や持ち場をきちんと守りながら、考えや意見をしっかり持って、ブログを書き続けているの本当にすごいなあ。という雑談でした。
今までにやめたサークルとその理由を列挙する(コミュ障大学生)
苦しい苦しい浪人時代を得て、期待に胸を膨らませながら、私は華のJDになった。
入学したての頃、教室の机の上には色とりどりのビラが溢れ、歩いているだけで、いかにもリアルが充実していそうな人達が「〇〇サークルどうですかー!?」と声をかけてきてくれる。
その光景はいかにも華々しく、田舎から出てきたイモ娘に夢を与えるのには十分であった。
私はほどほどに忙しく、ほどほどにゆるいサークルに入りながら、怠惰な学生生活を送り、「大学生って忙しいわ~w」とか言ったりなんかする大学生になれると信じて疑わなかった。
しかし、実際はそんな甘いものではなかったのである。
コミュ障かつメンタル豆腐なせいか、サークルに入るものの続けることが出来ず、今は「大学生って暇だわ~(死んだ目)」と言いながら生活をしている。
反省と自戒の意もこめて、以下に入ったサークルとやめた理由を列挙する。
1年生時代
ギターサークル
サークルのボックスがあって、そこでギターを借りて自由に練習できる。
月1くらいで例会があり、その例会への参加と年数回の発表会への参加は必須である。
入部する前にボックスを訪れた時のウェルカムな空気感と、ほわほわした感じの先輩方に惹かれて入部を決めた。
かなり人気のサークルで新入生が20人くらい同時に入った記憶がある。
何か面白いエピソードを書きたかったが、特に印象に残ってることは正直ないので何も書けない。
このギターサークルをフェードアウトしていったのは信じられないくらい早かった。
1年生の5月である。
その理由はボックスに入った時の空気感に耐えられなくなったからだ。
サークルに入った直後はボックスを訪れた途端、ノータイムで「わ~!こんにちは~!」と声をかけてくれた先輩方が、徐々に徐々に「(謎の間)やっほー」みたいな反応になっていった。
何か私自身に問題があったんじゃないかと思えるし、今思うとそのくらい仕方ないって思うけど、当時はそのしーんとする謎の間にどうしても堪えられなかった。
そして、ボックスに行くのが億劫になっていき、足が遠のいていった。
5月が終わる頃には、私はそこに足を踏み入れることは全く無くなった。
大道芸サークル
体育館の一角を借りてほぼ毎日任意の練習があった。
週一の例会のみ、出席が必須であった。
私は高校生の時分、ジャグリング部に所属していた。
本当はジャグリング部という名の駄弁り部であった訳だが、入学前から大学でもジャグリングを続けようと決めていた。
入部前に見学に行くと、先輩方も同会の面々もフレンドリーな方ばかりであったし、高校生からジャグリングをしている存在は珍しかったらしく、話しかけてくれる人は多かった。
なのでろくに練習に参加することもなく、入部を決めてしまったのである。
このサークルをフェードアウトしていったのは、ギターサークルよりももっと早い。
1年生の5月に入ってすぐのある日の事であったと思う。
私は数回目の練習に参加していた。すると、初めて会った先輩に「ほんとに〇〇高校のジャグリング部出身なの~、全然練習してなかった?w」と言われ、ぬくぬくとした環境で育った豆腐メンタルこと私は心が折れ、それ以来練習に行くことはなかった。
2年生時代
1年生になって早々、両サークルに行かなくなった私はあることに気付いた。
それは、大学生のコミュニティは主にサークルで形成されるということである。
他にろくなコミュニティを持たなかった私は、友達が出来ず、授業にも徐々に行かなくなり、「暇だな~」とか言いながら堕落した生活を送っていた。
堕落生活はそれはそれで楽なものであったが、衝撃的な事実が発覚する。
それはテストも終わり、春休みのことであった。
春休みには後期の授業の成績が発表されるのであるが、なんと私は、後期に8単位しか単位が取れなかったのだ。
これは1年生の後期としたらなかなかに低い数字であった。
そして焦った私は大学生活を立て直そうと、1年生の頃から興味があった写真サークルに入部した。
写真サークル
写真サークルは参加を強制される例会もなく、適当にボックスに集まって、写真の話をしたり、雑談したり、だらだらするサークルであった。
ギターサークルや大道芸サークルで見たようないかにもリアルが充実している雰囲気の人は少なく、留年していたり、麻雀狂であったりなど退廃的なオーラをまとった人が多かった。
ボックスの雰囲気もどことなしかどんよりしていた気がする。
1年を通して、だんだん堕落していた私にとってはとても居心地が良かった。
撮影会と称して近所に写真を撮りに行ったり、合宿に行ったりして、なかなか楽しかった思い出がある。
しかしこのサークルをフェードアウトしたのは2年生の夏休みにも達していない頃である。
特に行きづらくなる明確な理由があった訳でもないが、完全に授業を毎日自主休講するようになった私には、大学内のボックスに行くことがめんどくさかったのである。
そうして、「次授業に行くついでにボックスに寄ろう」と思っていた私は夏休みになるまで二度と授業に行くことはなかった。
それゆえ、写真サークルからもフェードアウトしてしまったのだ。そして私に残されたものは何もなくなった。
全てからドロップアウトした私は…
ついに今年の春から4年生になろうとしている。
結局、友達もできず、2年生時代を通して獲得した単位は0である。
そして当然の帰結として、留年することが確定した。
こうして私は大学3年間で、学内コミュニティと友達を作るチャンスとたくさんの単位を失った代わりに、少しの教訓*1とぼっちでも時間をつぶせる方法と酒の味を学んだのである。
結論:生きるのむいてねえ
*1:コミュニティに馴染むには努力が必要なことと自分からアクションを起こさないとならないことなどを、遅まきながら
映画『第三の男』ダンディな洒落人に憧れるならこれを見よ!(ネタバレ感想)
皆さんは白黒映画は見ますか?私は全くというほど見たことがなかった。だけど、大学の授業でレポート課題があり、英国小説1冊を選んで感想を書かなければならなかった。私は図書館に向かい、英国小説の棚の中でも一番薄そうな本を借りた(大学生は忙しい)。それがグレアム・グリーンのサスペンス『第三の男』だった。幸運なことに、この本がとても面白く、映画にもなっていることを知った。*1そして、この映画を見てみるとダンディズム・ノスタルジア・デカダンスの大洪水であった。ということで、この作品はダンディな洒落人に憧れる人・愛と裏切りの大人の世界が知りたい人におすすめだ。ちなみに、この『第三の男』はオールタイムベストの常連であり、フィルム・ノアール*2の大家とされている。
基礎情報
あらすじ
第二次大戦後のウィーン。親友のハリー・ライムの招きでこの街を訪れた作家のマーチンは、到着早々、ハリーが死亡したことを知らされる。ハリーの死には三人の男が立ち会っていたと言うのだが、その三番目の男の正体を追って、マーチンは独自の調査を開始する。陰影や構図を凝らしたサスペンス・スリラー。(Yahoo!映画(https://movies.yahoo.co.jp/movie/13635/)より引用)
監督・キャスト
監督:キャロル・リード
ホリー・マーチンス:ジョゼフ・コットン
ハリー・ライム:オーソン・ウェルズ
アンナ・シュミット(ハリーの恋人):アリダ・ヴァリ
音楽
恵比寿駅の発車メロディーだったそうですね。誰しも1度は聞いたことがあるはず。
個人的評価
★★★★☆
全編を通じて漂うダンディズムに圧倒される。また、光と影を効果的に用いて、荒廃したウィーンが退廃的に表現されており、廃墟好きな私としてはたまらなかった。物語も単なる悪党懲罰サスペンスではない。
ただ、「第三の男」が誰かというトリックは開幕早々察せるため★4。
感想※ネタバレあり※
ハリー・ライムのカリスマ性
とにかくとにかく悪役ハリーがしぶい。
この暗闇の中からヌッと出てくる時の顔。ダンディ…。ただ、顔だけに光を当てるの大変だったろうなと思ってしまう。
観覧車の側でハリーが言ったセリフも印象的だ。
「ボルジア家の30年、争い続きのイタリアではルネサンスが開花した。兄弟愛のスイスでは500年の民主主義と平和で鳩時計止まりさ。じゃあな。」(『第三の男』字幕より)
かっこいい…!言ってることは決して人道的ではないけど、こんな言い回しができる人になりたい。というか、ハリーのインパクトが強すぎて主役が食われてる。
愛は人道も論理も超える?
ハリーは闇ペニシリン売買に手を染めて、多くの人の命を奪った悪党であって、この事実は決して揺るぐことはない。しかし、ハリーにはハリーなりの美学があったんだなあと感じた。それは、「マーチンを裏切らないこと」。
一見すると、マーチンをウィーンに呼んだのは、彼を利用するためであると思われますよね。でもそれなら、近くにいる人を利用すればいいのではないですか?だから、ハリーはマーチンを仲間にするために彼を呼びつけたと思う。それに、下水道のシーンでもハリーはマーチンを狙って銃弾を撃ったのかは分からない。反論の余地はたくさんあるけど、私はハリーはマーチンを裏切っていないと感じた。
一方でマーチンはハリーのことを裏切ってしまいますよね。警察に協力したりして。だから最後にキャロウェイ少佐に「僕は勝ったんじゃありません。負けました。」みたいなことを言ったんじゃないかなあ。そういう意味で、ハリーとマーチンは対比されている。
一方、アンナもマーチンに説得されてさえ、ハリーを愛しつづけた。「彼氏が実は大悪党でした」って言われたら、好きな気持ちも冷めちゃいそうなものだけど、でも愛ってそんな論理とか理屈とか超えてしまうものですよね。
実は小説では、アンナがハリーのことを無視せずに、腕をからませながら一緒に歩いてゆくっていうラストなんですよ。それって切り替え早すぎじゃないですか?とってつけたようなラストな気がして、私は映画版の方が好き。
『第三の男』が好きな人におすすめの映画
マフィアの愛と裏切りの世界に溺れませんか?
『カジノ』
マーティン・スコセッシ監督のマフィア映画の傑作です。マフィア達がかっこよくもあり、可愛くもあって、映画が終わるころにはそんな彼らが愛しくなっているでしょう。裏切り、裏切られるなかで愛とはなにか考えてみては?ただし、若干グロテスクな表現があるので注意。
映画『生きてるだけで、愛。』現代社会に生きづらさを感じる人に(ネタバレ感想)
『生きてるだけで、愛。』っていうタイトルって、主人公の恋人が不治の病になってしまって、だんだん死に近づいていくなかで、「生きてるだけで幸せなんだ!」と気づかされる…みたいなストーリー想像してしまいませんか?(偏見)
少なくとも私はそうだった。そんな中、Netflixで配信されてるのを見つけて気まぐれで見てみたところ、実際は全然違った。この現代社会で器用に生きられない人、「苦しみながらも生きる理由って何?」と思う人にこそおすすめの映画です。
基本情報
あらすじ
同棲して三年になる寧子(趣里)と津奈木(菅田将暉)。もともとメンタルに問題を抱えていた寧子は鬱状態に入り、バイトも満足に続かない。おまけに過眠症のため、家にいても家事ひとつするわけでなく、敷きっぱなしの布団の上で寝てばかり。姉との電話やメールでのやり取りだけが世間との唯一のつながりだった。
一方の津奈木も、文学に夢を抱いて出版社に入ったものの、週刊誌の編集部でゴシップ記事の執筆に甘んじる日々。仕事にやり甲斐を感じることもできず、職場での人間関係にも期待しなくなっていた。それでも毎日会社に通い、家から出ることもほとんどない寧子のためにお弁当を買って帰る。
津奈木は寧子がどんなに理不尽な感情をぶつけても静かにやり過ごし、怒りもしなければ喧嘩にすらならない。それは優しさであるかに見えて、何事にも正面から向き合うことを避けているような態度がむしろ寧子を苛立たせるが、お互いに自分の思いを言葉にして相手に伝える術は持っていなかった。
ある日、いつものように寧子が一人で寝ていると、部屋に安堂(仲里依紗)が訪ねてくる。かつて津奈木とつき合っていた安堂は彼に未練を残しており、寧子と別れさせて彼を取り戻したいと言う。まるで納得のいかない話ではあったが、寧子が津奈木から離れても生きていけるように、なぜか安堂は寧子の社会復帰と自立を手助けすることに。こうして寧子は安堂の紹介で半ば強制的にカフェバーのバイトを始めることになるが…。*1
監督・キャスト
監督、脚本:関根光才
原作:本谷有希子
寧子:趣里
津奈木:菅田将暉
安藤:仲里依紗
個人的評価
★★★★★
共感できるところが多すぎて、常に泣いていた気がする。表に出す出さないは置いておいて、誰しも心の内側に生きづらさを抱えてますよね。この映画は「苦しみながらなんで生きているんだろう?」に明確な答えを提示する。この映画によって生きづらさは解決されないかもしれないけど、少しだけ心が楽になる人もいるんじゃないかな。趣里さんや菅田将暉さんの演技力や監督の映像美へのこだわりもすばらしい。
感想※以下ネタバレあり!※
寧子って私やん
結論:寧子って私。「寧子って生きてるの向いてないよな~」って某所某所で感じたし、その姿が私にオーバーラップした。
例えば、珍しく津奈木に料理をつくるぞ!って張り切ってスーパーに出かけたものの、お目当ての材料は売り切れてるし、卵を落としちゃってぐしゃぐしゃにしちゃうしで、散々なんですよね。やっとのことで帰ってきても、ブレーカーを早々に落としてしまって元に戻せない。そして暗闇の中で号泣しちゃう。
分かる!
何もかもがうまくいかなくって、「なんでこんなこともできないんや」って気持ちになることある。なんだか分からないけど、そんな日が定期的に巡ってきて、死にたくなる時がある。
他にも働き始めたカフェバーのオーナー夫婦と従業員の女の子と寧子の4人でお酒飲みながら話すシーンありますよね。皆暖かい人達で、ここならやっていけるかもと思って本当の自分を出してもいいんだと寧子は思う。そして、ウォシュレットの恐ろしさについて饒舌に語ってしまうんですね。そしたら誰にも理解されなくって、しまいには「大丈夫か?」なんて言われてしまう。
めっちゃ分かる!
めっちゃ気合うかもと思って、嬉しくてたくさん話していたら「今日テンション高ない?笑」とか言われて、凹んだりすることありませんか?私はすごくあるから、感情移入すると同時に恥ずかしくなった。
そして、ラストの屋上のシーン。寧子は言う。
「なんで私ってこんな生きてるだけで疲れるのかな?」
「私はさ、私とは別れられないんだよね、一生。いいな、津奈木、私と別れられて。」
と(´;ω;`)
皆が上手に生きているように見えるなか、自分だけが生きづらく感じる。他の皆もそれぞれ苦労しているんだろうな~とか思うけど、他人を羨むことをやめられない。苦しみながら生きる理由って何?
その疑問に対してこの映画はある答えを提示する。人と人が本当の意味で分かりあうことが出来ることなんて、ほんの一瞬しかない。でもその一瞬を得たいがために、人は人とつながろうとし、生きてゆくのだ、と。
ほんとそうですよね。接する人皆と仲良くなれる訳でもないし、悪戦苦闘してようやく人は人とつながれると私は感じる。言語のコミュニケーションだけじゃなくて、それを超えたところでつながりあえる瞬間ってある。しょうもないことで、本当に心の底から笑い合ったり、同じ映画を見て涙したりとか。そんな人が側にいるだけで、死にたい夜が乗り越えられたりするのだと思う。
圧倒的映像美
この画面がざらざらしているのは、画質のせいではない。関根監督がかなり映像にこだわっていて、16mmフィルムを使ったから。画面のざらつき加減から生々しさがあふれだしていますよね。エンディングテーマ「1/5000」もおすすめ。
世武裕子「1/5000」 ミュージックビデオ 『生きてるだけで、愛。』エンディング・テーマ
*1:公式サイトから引用